2018年3月6日火曜日

キリスト教が教える本物の結婚相手やパートナーとは・・・




こういうことはナイーブな問題ですので、
一個人の特殊の意見だと思ってさらっと読んでいただければ幸いです。
大変良い話を最近聞きまして、私も心からそう思うのでシェアします。
女性は賞味期限があると言われる日本では、若い女性なら今のあいだに見つけないとオバサンになって売れないと思うし、35歳後半からはもう高望みをせずに適当に収まり良い人を...と思い出すのではと思います。なので「この辺で手を打とうか...」とか本音は思いながらも、そうでもない人を選ぶなんてこと少なくないのではないでしょうか?
私は週に一度カトリックの聖書の勉強会に参加しているのですが、そこでフィアンセとはというお話が今回ありました。基本的にカトリックでは婚前性交渉をよしとしていませんし、離婚もよしとしていません。古臭いなぁと思われるでしょうか、きちんと幸せになるための理由があり、これも以下の話につながるのです・・・
ちなみに私が大いに納得したのは
「適当なところで妥協するな、本当に自分が心から望む人と結ばれなさい、結ばれる前にじっくりとお互い考える時間を持ちなさい」という教えでした。
そんなことしてたら「一生結婚できない高望みでは?」とか「ここで彼を受け入れておかないと逃げられる?」とか思って受け入れているとあまり良い結果にならないことが多々あるというのです。
ちなみに「適当なところで妥協するな」とはどこで考えるのかという話ですが、どこかに「うーーん」と思うところがあるのならやめておけ、という話です。そして自分はどんな人と結ばれたいのかそのイメージを強く固めていくことだそうです。そういう人と出会うと、理由もなくひかれるし、喧嘩をしてもまた一緒にいたいと思うので、末長く続くそうです。
ただ「この辺で・・・」と思っていた相手とは、結婚すると一気に萎えてセックスレスになったり、喧嘩をしても収集がつかなくなり、家庭内別居や離婚そして不倫へ一直線となるそうです。
あるクリスチャンの女性で結婚6ヶ月後にそれを破棄した女性がこう話していました。
「結婚が決まって嬉しいはずなのに何だか嬉しくない。自分の本音を見るのが怖かったけど、どうして彼と結婚しようかと思ったかというと、ただ幼馴染でずっと付き合って来たからという理由だけだったということに気づいたんだそうです。彼女は「破棄して本当によかった、今は自分が何をしたいのか?どうあればもっと幸せなのかを考えています」と締めくくっています。
結婚は一生に一度にしたいものですから(なぜなら離婚は非常に苦しいので)、よくよく自分の運命の人に出会えるまで、前向きに待つというのもいいのではと思いました。
ちなみにカトリックの世界ではfidanziamentoというフィアンセの期間はパートナーとして勉強する準備期間でもあります。
日本では簡略化されていますが、結婚前に夫婦になるためのコースに通います。その結果別れるという選択をするカップルも少なくありません。

婚前性交渉を良しとしないのは、まずはお互いの心をきちんと理解して、結婚したらもう二人は永遠に一つになると決めたのだから、安心して思う存分愛し合って下さい。ということだそうです。
※私が通っている教会での話ですので、全てのカトリックに共通する話ではないかもしれません。

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